社会人英語教育の何が問題なのでしょうか?

日本で英語教育を受けた人に、圧倒的に不足していること


結論、「英語を話した時間」が足りません!

日本の学校教育で英語を学んだ場合、おおよその人の学習時間は約1000~1500時間くらいと言われています。しかし、実際に英語を使いこなせるまでの時間は約2000〜2500時間が必要です。

読み書きの英語を1000~1500時間も行ってきたと考えれば、不足する1000〜1500時間は、聴く話す英語に特化してもよいのではないでしょうか?

近年、企業で行う英語研修は、TOEICスコア(リスニング、リーディング)の高得点取得を重視してきたこともあり、リスニング力は成果を出している傾向にあります。

とすれば、圧倒的に足りないのは「英語を発した」時間になります。


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知識量ではなく、異文化理解を前提とした経験量を増やさなければならない理由

日本で英語学習をしてきた人は、社会人になってからも英語学習といえば、やれ単語だ、文法だ、といったインプットが先立ってしまします。受験の再燃(弊害?!)です。結局、TOEIC(リスニング、リーディング)の高スコア獲得をゴールにしてしまいます。

にわとりと卵の話にもなりそうですが、インプットに1000時間も使ってきたと考えれば、現在の知識量の濃淡はあっても、思い切ってアウトプットから、新たに始めてもいいのではないかと思うのです。

私のまわりで英語が話せる人の中には、TOEICを受けたことすらない人もいます。もちろん、英語だけの環境に身を置いたり、将来的に使うことを想像して会話の機会を積極的に得たり、英語から逃げないようにすることを優先していました。経験量重視です。

ただし、英語を話すということは、日本語が話せない人との会話が基本です(研修内の演習は除く)。現場の仕事で使うことが主になりますが、相手は日本の文化的背景や、独特な商慣習を理解していないケースがほとんどだと思います。

そのような状況において、相手の文化的な背景、現状などの異文化理解の視点がなければ、ミスコミュニケーションを起こし、ひいてはビジネスの損失につながりかねない事態となってしまいます。

日本は、他国と比べると反応型のコミュニケーションを取る傾向が強く、誰かの発話を待って自分の意見を出すのが心理的にも安全と捉えています。つまり、そもそも日本語においても相手のカウンタートークを得意とする気質が備わってしまっているのです。

日本で英語教育を受けたということは、日本文化の中で学習を積んだことに他なりません。英語習得と同時に、さらに客観的に自らの環境を捉えなければ、根本的な英語問題(コミュニケーション問題)の解決にはならないと言えます。

このような点が理解されないまま、いくら英語だけ話せるようになっても、それは却ってコンフリクト、齟齬のリスクを高めることになりかねないのです。


明日必要になるかもしれないことを、先延ばしできません!

日本で実践的に英語を使用する人の割合は、全人口の約1割にも満たないと言われています(諸説あり)。せっかく英語を学習してきたにも関わらず、使わず仕舞いとなっているのです。使う場がなければ、仕方がないとあきらめてしまうのも分かります。

そのため、いつ使うか分からない英語を勉強するなら、もっと実利的な資格やスキルを取得する方に時間を使いたいと考えるのが普通かもしれません。

しかし、企業によっては、経営の戦略転換や海外資本によるM&A、海外業務部への急な異動、あるいは、業務的な流れによる不可避の海外出張等、いつ誰に英語が必要になるかわからない状況もあります。

「今、英語を使わないてもいい」は、「未来でも使わないでいい」とイコールではないのです。

よく聴く話では、TOEICスコアもそこそこあり、ある程度の知識がある方でも、外国籍社員とのミーティングをする際など、かなり苦労を強いられています(異文化の壁も含めて)。業績が優秀な社員の方々でも、実は英語を使い慣れている方はまだ多くはないのが現状です。

ここに日本のビジネスパーソンが抱える英語問題の本質がありそうです。

英語を使う、つまり話すことは、明日いきなり出来るようにはならないのです。一朝一夕では形成できないことが語学習得の事実であり、そこをリスクと感じ取れていないことが大きな問題なのです。

まずは、英語をとにかくしゃべって、相手の反応を見て、柔軟にコミュニケーションしていく力(異文化対応力も踏まえ)、今の日本のビジネスパーソンに欠かせない点です